■旅行記 ”日本一周旅行” 38日目 : 雨は降り続いた  (1996.09.14 Sat)

 雨は一晩中降り続いた。いつ眠りに就いたかは覚えてないが、眠りが浅くなる度にテントに打ちつける雨の音を夢の中で聞きながら、憂鬱と共にまた眠りへと落ちていった。
 少しだけ辺りが明るくなり始めた頃、こんな街中の寺の前に陣取って、大雨の中寝てても仕方がないと、無理に起きて出発しようとも思ったが、テントの中で仰向けで、手が届くほどのテントの天井をぼうっと見たまま、なかなか体は動かなかった。
 何のためにここまで走ってきたのだろう。今更ながら、自分のしていることが馬鹿らしく思えて仕方が無かった。昨日を引きずっているのは明らかだったが、そもそも昨日まで、ずっと一ヶ月以上も引きずって走ってきたんだ、そんな一晩で開き直れるものでもない、と開き直っていた。もう、いっそのこと、このままテントの中で眠り続けていたいくらいだった。
 晴れていれば外に出て、窮屈にしている手足を伸ばして空でも見ていれば気分も晴れるのかもしれないけれど、漠然と見つめているそのテントの天井には、大木の枝葉からこぼれてくる大粒の雨がぼとぼとと大袈裟に打ちつけるだけで、その音に耳を奪われ、襲ってくるようなその音を無言のまま受け入れていると、自分がもっと狭いところへ、もっと深いところへと追い込まれていくようでさえあった。
 多少厚みのあるスポンジマットの上にシュラフと共に寝そべっているから、背中が水浸しというわけではないけれど、それでもテントの中は水浸しで、着替えやタオル、地図や日記などの濡れてほしくないものは一晩中、バイクの箱の中にしまったままだった。もちろん、自分もシュラフも湿ってしまって、本当に居心地の悪い寝床なのだけれど、それでもこの時ばかりは、ただただ雨の音を聞きながらぼけっと天井を眺めて、朦朧と横たわっているだけだった。
 どれくらいが経っただろう。厚い雨雲にすっかり覆われているとはいえ、さすがにだいぶ明るくなってきたが、その間ずっと、自分にとってこれまでの旅はなんだったのか。心の中で一番に望んでいたものが得られなかった今、何も得られなかったような、すべてを失ってしまったような、そんな虚しさでいっぱいだった。
 しかしそう思えば思うほど、僕がこの旅の中で会った人たちの笑顔や優しさは、一体僕にとって何だったのかと自分に問いかけたくなる。そのすべてが無意味で無駄だったのだろうか。


 「そりゃねーだろ」


 力なくその場に横たわっていた自分に声を出して訴えかけた。それはまるでレースに勝てなかったから今までの応援や努力は無意味だったとか、志望校に合格できなかったから人生はお終いだと言っているのと同じではないか、と。
 確かに出発する前には、数ある目的の中で最も大きく、そして心の内に大事に秘めた目的があって、それは、バイクで日本を一周することよりも遥かに高い山であり遠い存在だったかもしれない。しかし旅を続けた中で、予想外なほどいろんな人から支えられ励まされてきた。たかだかバイクで走るだけの何てことのない出来事だけれど、僕にとってはいろんな意味で真剣そのもの、人生そのもののような気さえしてきたくらいだった。
 確かに今は空中分解しそうなほどもろい気持ちだけれど、それでも本当にそうなってしまったら自分はおろか、励ましてくれた人だって悲しいというより残念に思うだろう。そしてそんな方々に対して、何の恩返しも出来ない今の僕が、唯一その人たちに出来ることと言ったら、やはり無事に日本一周を果たして、無事に着いたとお礼の言葉を笑って述べることしかできないのである。大したことではないけれど、今の僕にはそれしかできないのである。だからどんなに馬鹿げていることでも、やり遂げることには意味があるんじゃないだろうか。
 そう思ったら、寝ている場合ではない。ここにいてもどうせ濡れたまま時間が過ぎるだけである。それなら走っていた方がまだマシだ。それに、ずぶ濡れとは言っても、今日のうちに神奈川県内の親戚の家まで走り切ってしまえばひとまず終わることである。
 そんなわけで、ようやく起き上がりテントを畳み、沼津を後にした。結局、終日風雨がやむことはなかったのでゆっくり走ったが、ろくに観光もせず伊豆半島を黙々と周ったので、そんなに遅くならないうちに親戚の家に着くことが出来た。
 親戚の家に着く直前、ようやく雨が止んだ。まだ、胸の内も晴れ渡ったというわけにはいかないけれど、それでもこの峠は越えなければならないのである。進めば何かがあるだろうし、何かが分かるだろうと信じて、進むしかないのだろう。



【走行距離】 本日:261km / 合計:10,068km
静岡県沼津市 〜 神奈川県伊勢原市

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