■旅行記 ”日本一周旅行” 39日目 : 巡る東京湾  (1996.09.15 Sun)

 伊勢原の親戚の家を出たのはやはり早くなかった。朝はゆっくり目に起きたり、用意してくださった朝食を楽しく会話をしながらいただいたり、家の前で記念撮影をしたりしていれば、あっという間に時間は過ぎてしまうし、何より急ごうとも思わなくなる。
 しかしさすがに夏休みが明日で終わりなので、出発の前後でこれからの行程を考えていた。ここからすぐに平塚へ出て、三浦半島を周り、横浜、東京、さらには千葉を経て、そのまま房総半島を周って、関東の東端、千葉県と茨城県の県境の犬吠埼から利根川に沿って西へ走れば、我が故郷の我孫子に辿り着く。あとは適当に浅草橋を目指し、そして埼玉の自宅まで走るだけだ。もうそれほど急がなくてもゴールは見えている。
 しかしいつもと同じように、今日、どこまで走れるかは分からない。ただひたすら、走れるところまで走るという、いつもと同じ調子である。それは、ここまで1万キロ以上走ったけれど、大して成長していないところである。
 これまでにも何度も述べたけれど、それが出来るのは、決まった予定がないからである。思えばそのような旅行をする機会も、そのような旅行をする人々も、随分少ないんだと思う。どの船に乗る、どの列車に乗る、お昼にどこで何を食べ、午後一にどの街の何を見て、そして今夜はどこに泊まる。それは忙しい日本人だけじゃなく、現代人にとってごく当たり前のことのようだけれど、もちろんそれが当たり前じゃなかった時代だってあるわけだし、だからと言ってこのような旅行がまったく古くさいものだとも言えないはずである。まあ、こんなことを言っているから団体旅行が苦手なんだと思うけれど、それは旅というよりもむしろ人生そのものである。しかし今や人生そのものが、現代の旅行のように誰かがいつの間にか決めてしまったスケジュールの上を盲目的に、或いは無我夢中に加速するだけで過ぎていってしまうというケースも少なくないから恐ろしいものである。
 話が逸れてしまったがそれはさておき、問題は今日の行程である。先ほどはまったく分からないなどと言ったけれど、少なくとも僕は関東で生まれ育っているから、ある程度は掴んでいるつもりである。余裕で房総半島の南端までは行けるだろうと考えている。さすがに今日中に犬吠埼までは走れないだろうし、木更津あたりで終えてしまったら明日が厳しくなるだろうと、それくらいは走りながらでも考えがまとまる。とは言えかなり大雑把で申し訳ないけれど、しかし膨大な詳細地図を見て距離と時間を測って走っていては、とても日本を一周してここまで来られたものじゃない。
 しかししかし、そんな予想とは裏腹に、湘南、三浦半島、それ以上にそこから先の横浜、川崎、品川と、随分時間がかかってしまった。とにかく渋滞、酷暑、排ガス、そのすべてが憂鬱な海の臭いとその湿気と共に僕の体を締め付けた。見慣れているからだと思うけれど景色もいまいちだし、渋滞で疾走できないから余計に暑く感じるし、地方と違って交差点の数が半端じゃないのもあって走りにくくて気は使うしでひどく疲れる。おまけに僕が埼玉出身だけあって、品川を過ぎてから、どこを通って千葉方面に向かえば良いかが分からなくなり、道に迷って余計な時間を食ってしまった。そんなわけで、一度戻ってきた東京からほうほうの体で逃げるように千葉へと向かった。
 そんな喧騒が落ち着いたと感じたのは、千葉市をとっくに過ぎて、それこそ木更津が視野に入ってきた頃にようやく、という感じであった。陽も傾き、渋滞もさすがに治まって、ようやく落ち着けた感じはあるが、しかし海岸の景色は工場が立ち並び、相変わらず心地よいものではない。
 木更津まで来たんだから房総半島の南端はもうすぐだ、と思っていたのがそもそも間違いであった。それから必死になって走れども走れども館山、そしてその先の白浜へなかなか辿り着かなくて、あっという間にヘッドライトが必要になる時間になってしまった。改めて地図を眺めてみると、千葉の南端は静岡県の伊東市にある城ヶ崎海岸とさほど変わらない緯度なのである。お陰で既に通り越したが木更津の南西にある富津岬や、房総半島南端にある、ちょっと西に出ている西岬などは端折ってしまった。
 そんなわけで南端の白浜町に着いたのはとっくに真っ暗になってからで、本来なら夕食も済んでのんびりしているような時間帯であった。無理して走り切り、疲れはピークに達していたから、テントを張る場所はそれこそ京都府竹野町の離湖湖畔じゃないけれど、道路脇の草やら砂利やらが敷いてある空き地のようなところに適当に陣取って有無を言わさずテントを広げてしまった。しかしテントも張り終わり落ち着い辺りを見てみると、ここは眼下に海が広がる小高い磯の上のようだった。
 テントを張った近くに焚き火の跡があり、そこらは砂利も平らになっていたのでしばらく横になって空を見ていた。さすがに秋田の八竜町の星空には敵わないけれど、思えば久々に見る満天の星空である。
 星を見ていると、ついいろいろと考えてしまう。しかしそれは悩み考え込むというものではなく、悪く言えば無責任に、よく言えば開放的に、でも真剣に、そして悟ったかように落ち着いた心持で、気が鎮まる、救われるような気分にさえなる、そんな不思議な力がなぜか星空にはある。
 それは、その星空が自分の力ではどうにもならないということを知っているからだろうか。そして今の自分ではどうにもならないことがこの世の中にさえたくさんあるということとクロスするから、何となく切なくなるのだろうか。しかしそこには暖かみさえ感じられる。本当に不思議な時間がそこにはある。
 そう思った瞬間、一種の諦めというか、宿命みたいなものを感じることもあるけれど、時と共にその様相を変化させていく星空、そしてその中で、いつか消えてしまうのではないかというほど細く揺れている小さな星々は、「じゃあその中で自分は何が出来るのか」ということを訴えかけてくるような気がしてならない。



【走行距離】 本日:299km / 合計:10,367km
神奈川県伊勢原市 〜 千葉県安房郡白浜町

一覧へ戻る】 【振り返る】 【次へ進む