■旅行記 ”日本一周旅行” 37日目 : 本音  (1996.09.13 Fri)

 腕時計の目覚ましを4時半にセットしておいた。まだあたりは暗かったが、乗客や、それこそバスが来てしまったら大変だと、すぐに出発の準備をした。
 朝になり、雨は止んでいた。しかし昨夜は結構遅くまで雨が弱まる事はなかった。バス停の囲いであるトタン板に雨が打ちつける音はバチバチとうるさかったけれど、屋根のお陰でテント内はそれなりに快適だった。ただ傾斜のあるところだったからちょっと寝づらくて軽い腰痛になった。
 朝食は、走り出してからコンビニを見つけてそこで食べればいいやと思っていたが、昨夜は夕食も食べていないのでさすがに空腹だった。しかし今はそんなことはあまり気にならなかった。僕が気にしていたのは天気と、そして今日会うかもしれない人のことだった。
 「今日会う」と言っても、別に約束したわけじゃないし、連絡を取ったわけでもない。だから会えないかもしれないけれど、それならそれでいいと思っていた。でも、旅行を始めるずっと前からこの日のことを実は気にかけていた。
 朝早く出発したお陰で、まだ薄暗いうちに志摩半島を周り、順調に、松坂、津、鈴鹿、四日市と走って来れた。
 そして昼頃、その知り合いの家を訪ねた。家には小さな店舗があってお客さんが出入りするので都合がよかった。客ではない僕の突然の訪問はこの場合失礼だけれど、どうしても仕方がないのである。因みにお客はちょうどいなかった。
 店に顔を出すと、当の本人が目の前にいた。僕も少し驚いたが向こうはさすがにひどく驚いていて、顔が強張っていた。けれど少し席を外すと家族に告げて店先に出てきてくれた。
 久しぶりと言っても3、4ヶ月しか経っていない。けれど僕にとっては随分長く、そして遠い道のりに感じた。びっくりしたと言って笑ってくれるかと思ったけれど、笑顔はなかった。
 自分は、いつか冗談で話し合っていた日本一周をやってのけようと、北海道から日本海、そして鹿児島と四国を巡ってここまでやってきた、ということを最初に話したけれど、自分でも驚きだったがそれ以外あまり話題もなく、言いたいこともろくに切り出せなかった。対する相手はここ最近は名古屋で遊ぶことが多いが実家で楽しく暮らしてるということくらいだった。そして途中で買ったほんの小さな土産も渡したけれど、それ以上話は続かなかった。
 相手が店の方を少しだけ大袈裟に見たので、僕は「それじゃあ」と言うしかなかった。相手も同じようなことを言ったけれど、やはり笑みを浮かべることはなかった。
 僕は、自分を押し殺すように一目散に走り出した。そして逃げるように名古屋を越え、静岡の沼津まで走り抜いた。


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 何でもすぐに諦めてしまう自分がどうしてここまで頑張って走り続けられたのか。どうして全国を反時計回りで周ったのか。そもそもなんでこんな旅に出たのか。今日がまさにそれである。
 名古屋からの道を走りながら心に去来するものは、これまでこの旅行中に僕を助けてくれた数々の人への裏切りの気持ちばかりだった。すべてが今日のためというわけではないけれど、ほとんどそうだと言われても言い返せないほど、自分が情けなくて仕方がなかった。
 天罰だろうか、はまたま自分の気持ちの表れだろうか、夕方になってまた雨である。しかも昨日と同じか、それ以上の大雨である。既に沼津市街に入ってしいて、泊まるのに都合の良さそうな場所が見つからず、ずぶ濡れのまま右往左往した。
 お寺を示す道路標識を見かけたので向かってみた。どうにか雨宿りが出来る場所を提供してはもらえないかとお願いに行ったが、いたのは柔道を習っている子供たちとその先生だけだった。その先生は自分は住職じゃないから何とも言えない、申し訳ないが境内の外で寝るか他を当たってくれ、と言った。
 もう走る気力などなかったので、当て付けじゃないけれど門のそばにある大木の下にテントを張った。それでも雨は打ちつけ、自分の体は既にずぶ濡れだが、テント内もすぐに水浸しになった。
 挙句の果てにこれである。理由はともかく、申し訳ないという気持ちと情けないという気持ちが、小さなテントの中、濡れたままシュラフに横たわりうめいている自分を執拗に苦しめ続けた。
 



【走行距離】 本日:448km / 合計:9,807km
三重県度会郡南島町(ワタライグンナントウチョウ)(現:南伊勢町) 〜 静岡県沼津市

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