■旅行記 ”日本一周旅行”  9日目 : 最北の果てに  (1996.08.16 Fri)

 夜中に何度も目が覚めたが、その度に「まだ降ってるのか」とテントに打ち付けて大げさに音を立てている雨を恨んだ。そしてまだ夜が明ける前、天気が悪く、まだまだ暗い中で僕は起き出し、「どうせ濡れるんだったら走った方がマシだ」と、出発の準備を始めた。正確に何時だったかは忘れてしまったけれど、まだまだ街は暗く、何の活動も見られない中、とにかく稚内に向けて走り出した。
 右手に海を見渡し、左手はあまり見て走らなかったが低い丘というか草むらというか、あまり特徴がなくほとんど覚えていないが、とにかく脳裡に焼きついているのは灰色の空と海が大雨とひどい風の中で入り混って、境界が分からなくなっているような光景である。海は荒れていて冷たそうだった。そして実際に、朝からずっと、海からの風に身を傾けたまま、雨に打たれて走っている僕は、真夏だというのにひどい寒さで震えていた。
 何時間も、ずっとそのような中を、同じ姿勢で同じ方角に向かって走っていた。手足は思うように動かなくなり、体のあちこちが痺れてきて、意識は朦朧とするし、ただただ、雨が入らないように目を細め、走り続けているだけだった。
 その間、僕は何を考えていたのだろうか。確か、人生なんてこんなものだとか、いやもっと大変なんだとか、今、僕がこうして走っている理由を自分に問うてみたり、知り合いの顔を思い浮かべては、感謝しているとか、会わなきゃいけないんだとか、だから頑張るんだとか、ただ黙って自分を励ましていたような気がする。自動車と違って音楽を聴くわけにもいかないし、いつものように歌を歌って走るほどの元気もなかった。
 しかし、そんな時間を断ち切ったのは突然のガス欠だった。とは言っても、そこで停まってしまったのではない。
 実は知らない人が多いのだが、ほとんどのバイクには燃料計がついていなくて、簡単に言えば、タンクは一つなのだけれど、ガソリンをエンジンに送るための口が二つあって、まずはガソリンがタンク内に2、3リットル残っているところで一度、エンジンにガソリンが行かなくなるのである。それであとどれくらい残っているかが分かり、タンク下のコックをひねると、タンク内のすべてのガソリンが取れるようになって、走り続けられるのである。ただそれだけでは心許ないので、このバイクの燃費はどれくらいで、今まで何キロ走ってきたから、何リットルのタンクの中にガソリンが現在どれくらい残っているだろうということを、少なからず考えないといけないのである。「なんというイニシエで不便な乗り物なのでしょう!」と思う人もいるかもしれないが、それはそれでオモムキのあるもので、慣れてくれば別にどうってことはないのだ。ただ、今までの数々の失敗から、給油時に、タンク下のコックを戻し忘れないようにということだけは、いつも気をつけている。さもないと「一度目のガス欠」のはずが、「最終的なガス欠」になり、即ち、動けなくなるからである。
 さて、もちろんの事だけれど、毎回、「一度目のガス欠」の度にこんな事は考えてはいない。エンジンの出力がおかしくなり、それだと気づくや否や、走ったままタンク下のコックをひねり、そのままエンジンもバイクも停まらずにまた元のように巡航するのが一般的である。
 ただ、いつもと違うことがあって、それはここが北海道ということである。しかも、ガソリンスタンドはさっき通過してしまったばかりである。
 本当に危険だと思ったらもちろん戻るのだが、とにかくそういう面倒な行動のすべてがいつも以上に面倒に感じられ、アクセルやクラッチを動かすのがやっとの冷たくなった手は、そのまま前を向いて走り続けることを望んでいた。まあ、大丈夫だろう、という気持ちもあった。
 さて、それからはどうしたってガソリンスタンドを探すことに気を取られがちになる。さすがに稚内にはあるだろうけれど、その前にどこかにあるだろうと、焦ってくるものである。しかしまだ9時前だから、開店していないガソリンスタンドだってある。給油の際、朝や週末というのは意外と落とし穴なのである。
 そう考えながらも、どんどん進んでいく。一度目のガス欠の前に通り過ぎたガソリンスタンドまでもかなりの距離ができた。もう戻れない。とにかく途中にガソリンスタンドがあると信じて進もう、どちらにしても、燃費の良い走りをしよう、と、焦燥感でいっぱいになる。しかも風雨は治まらず、風に至ってはひどくなったような気さえする。
 もう、稚内まではガソリンスタンドが無いだろう、と思い込んでからは、開き直れてかえって気楽である。とにかく行けるところまで走り続けるしかないのだ。こういうことは日常でもあることだが、日常とは状況が違いすぎた。自分の甘さに腹が立ったが、それすら感じられないくらい疲れ果てていた。
 道路標識からして、宗谷岬まではもうそれほど遠くないようだ。もうここまで来れば、仮にこの時点でガス欠になったとしても、とんでもないリスクを負うことはない。バイクを引いて、1時間くらい歩けばいいだけだ。実際にあったら文句たらたらだろうが、半分ヤケになっているので、そんなこと、ここまで来たらどうってことないなどと思いながら、しかし密かに幸運を祈りつつ走っていた。
 そう思ったのも束の間、何とか宗谷岬に着いた。国道が宗谷岬のところで鋭角に曲がっているところに、待っていたかのようにガソリンスタンドが現れた。僕は岬がどうとか最北端がどうのというのことは置いといて、ただ惰性でよろよろとそのガソリンスタンドへ入っていった。
 ただ、こんな経験は初めてだったが、自分はバイクから降りることが出来なかった。冷たく濡れた両腕と両足が動かなくて、跨っているバイクから降りられないのだ。無理をするとバイクごと倒れてしまいそうだったので、心配した店員が両側から支えてくれて降ろしてもらった。降りてからも、歩くことすらままならなかった。早朝からずっと、雨に打たれ、休憩もせずに走り続けたせいである。
 さて、給油を済ませてから、とりあえずバイクは道端に停めておいて、体をほぐすように少し歩いた。とにかく温かな飲み物を口にして、雨をしのいで休みたかった。
 心身ともにやっと落ち着いて、とにかく、よくここまで走ったものだと、自分を称える余裕ができたが、反面、今さら防水や防寒といった雨具や他の装備の不備を自分に指摘していた。しかし、お金があれば何でももっと万全を期したさと、結局行き着くところはそこである。そうなるともう叩いたって何も出てこない。
 さて、これからは一路、札幌へ向かうルートを取るわけだが、それだって決して近くはない。また今までと同じように進まなくてはと思うと本当に憂鬱だが、今朝と同じように「こんな状況の中ここに居たって仕方がない」と思うと、自然と走り出そうとするものである。それはどう表現してよいか分からないけれど、子供が、眠かったり機嫌が悪かったりしてぐずっているところを母親に口うるさく叱られて、仕方なく学校へ向かって出て行くのとあまり変らないかもしれない。もしかしたらその父親も同じような気分なのかもしれないが、とにかく僕の場合は台風が、札幌へ帰れと僕を急き立ててるようであった。
 そうして、また雨の中を走り出したのだが、派手な振る舞い−先を急いでスピードを出したり車を追い抜いたり−はせず、初めから守りの走りで−ただ前の車のテールランプを追い続けるように−稚内を出発した。それからも景色としてはあまり変らず、ただ耐えるようにひたすら海辺の道を走り続けた。
 「塞翁が馬」ではないけれど、ようやく、稚内と札幌のちょうど中間の留萌(るもい)あたりから天気が回復してきた。雨も風も弱まり、そしてそのうちどちらも止んだ。雨具を脱ぎ、大げさに服をなびかせて走った。こうなると体は乾いて暖かになり、元気も出てくるものである。ちょうど、海岸線が入り組んで、断崖の下をいくつもトンネルが通してある道に差しかかったが、まだ雲の隙間から見えるか見えないかという太陽と、その断崖と、空気の澄んだ海上の景色がとても鮮やかで眩しかった。そのコントラストといい、空気の澄み具合や風の暖かさといい、二日前の苫小牧以来の爽快感だった。二日前と言っても、思えば1000q以上も前のことである。
 そんなものだから、札幌へ帰ってきたという気持ちが一際強かった。まるで日本一周を終えて、実家に帰ってきたような感じだが、ただ北海道を一周して、親戚の家に戻ってきただけである。とにかく親戚の家に着いた時は、「やっと帰ってこれた!」という思いしか浮かんでこなかった。そして、その家のおばちゃんの嬉しそうな無邪気な笑顔を見かけると、涙が出そうになった。
 またしても自分が、なくなってしまうのではないかというほどに小さくなってしまった気がした。

 
結果として台風の影響だったわけですが、一枚の写真を撮る、撮ってもらうのが精一杯の宗谷岬でした。


【走行距離】 本日:538km / 合計:2,807km
北海道紋別市 〜 同札幌市南区

一覧へ戻る】 【振り返る】 【次へ進む