■旅行記 ”日本一周旅行”  8日目 : 雨の道東  (1996.08.15 Thu)

 朝になっても天気は回復していなかった。テント近くの水道で顔を洗ったりトイレに行ったりしながら辺りを見回した。小雨がぱらついているし、霧もまだ残っていた。
 まあ、これだけ立派な公園が見つかっただけでも、ありがたかったと思った方が良さそうだ。広々としていて静かだし、そして適当な街灯もあって、昨夜はひどくぐっすり眠れた。ただテントはびしょびしょで、テントの中まで湿ってしまっていた。シュラフの下にはスポンジで出来た通称「アルミマット」を敷くからそんなに気にはならないが、霧雨程度でも意外にも屋根の部分−覆いの内側−が濡れてくるのである。染み込んでくるのもあるけれど、内外の温度と湿度差のせいで、結露してしまうようであった。そう思ったのは、テントの覆いは二重になっていて、内側と外側のシートには空間があるのに内側のシートの内側が湿ってくるからである。雨は外側のシートに落ち、シートに沿って流れていくので、仮に外側のシートから雨が漏れてきても、それはそのままシートを通って地面に落ちていくわけである。もちろん大雨にでもなったらこの限りではないのだろうけれど。とにかく、そんなことを思いつつ、この肌寒い朝を、昨夜のうちに買っておいた牛乳とカロリーメイトを食しながら何となく過ごしていた。
 しかしここに居たって仕方がない。すぐに出発の準備をして、走り出したらすぐにでもコンビニに寄ってホットココアでも買っていただくとしよう、と、そう思うとあとは早かった。だが濡れたテントはあまりきれいには畳めなかった。
 しばらく走っても、天気は良くならなかった。かえって悪くなるばかりで、雨具はずっと着たままだった。一番雨がひどかったのは、何となく次の目標にしていた釧路に着いた頃だった。目標と言いつつ、駅前で写真を撮っただけで何も観光などせずさっさと出発してしまった。
 厚岸(あっけし)の辺りまで来て、ようやく雨が止んだ。だからバイクを停めて、すぐに雨具を脱いだ。持参した雨具は安物なので、中はもうびしょびしょである。それなのに雨具を着たまま走っていると、かえって着ている服の乾きが悪くて不快なのだ。だから空を見上げてもう雨は降らないだろうと勝手に判断して雨具を脱ぎ、走りながら長袖のシャツやジーンズを乾かすのである。
 さて、そこから国道は海岸を離れ、湿原−「根釧原野」という方が正しいのか−の真ん中を走るコースとなるが、雨が降っていないので、途中で写真を撮ったりしながら気持ちよく進む事ができた。のどかな国道がひたすらまっすぐ伸び、ちょっと離れたところを平行に走っている線路も架線が無く、単線でしかも錆び付いていて、のどかさを一層引き立たせていた。道路が小川を渡る度に、カヌーをするのに手頃な川岸が見えたり、時折、実際にカヌーをしている人たちが見えた。そうだ、かの有名な野田知祐さんもこんなところでのんびりカヌーを漕いだり、みんなにカヌーを教えたりしていたのだろうかと、そんなことを夢想しながら僅かな至福のひとときを過ごしていた。
 さて、ようやく根室に着いた。と言ってもまだお昼前であった。正午には納沙布岬まで行って、そこでお昼を食べようと思っていたが、見れば駅前の魚屋には、見事な「カニ」が山のように積んであるではないか。
 それは花咲ガニだった。「だった」というか、僕はそれまで何も知らず、「花咲1000円」と書いてあるダンボール紙を見てそれと分かったのだ。しかもその店先で、観光客が真っ赤なカニにおいしそうにかぶりついているではないか。立ち食いソバならぬ、立ち食いカニである。
 結論から言うと、僕はその花咲ガニを食べなかった。きっと2ハイ−2匹−は食べたくなるだろうと思ったが、日本一周旅行を始めてまだ一週間しか経っていないのに、こんなところでそんな贅沢をしている場合かと、自分を叱咤した。今思えば「なんてもったいない事を」と思うけれど、当時はそんなカニを見せつけられても動じない、そんな奴は今の僕にはどうでもいい奴なんだと、そんな気持ちだった。それを真っ直ぐな気持ちというのかひねているというのかは分からないけれど、当時としても相当の後悔を残し、後ろ髪を引かれつつ、その場を後にしたことには違いない。そんなこともあってか、納沙布岬では自分にご褒美とばかりに千円のいくら丼を食べた。
 本来なら、知床半島を周って行くのが筋なのかもしれないが、当時の僕には知床半島より摩周湖の方に興味があって、直接そちらに向かった。それに納沙布岬の帰りからまた雨に降られたからそこまで周るのに消極的だったというのもある。
 正直、摩周湖は観光客が多すぎて興ざめしてしまった。確かに湖水はきれいだけれど、みんながバスの中から半袖のTシャツ姿で「さむーい」と言いながら出てきては友達と写真を撮ったりしているというのに、こっちは真夏だというのに一人革ジャン姿でしかも濡れていて、いかにも寒々としている。余計に冷めてしまうのも当然だ。しかも濡れてるだけならまだしも、顔はよごれてるし、髪はヘルメットでつぶれているし、正直、あまり人ごみの中にいたくなかった。しかし、霧ではない摩周湖を見渡せたことに関しては、密かに心躍っていた。
 それから、どうしても今後の予定の事が気になって、網走も駅前で休憩を取るくらいで早々に出発してしまった。どうもいまいち天気が回復しないので、それが気になっていたのである。しかもその予感は的中してしまった。
 そろそろ暗くなり始めたし、今日はどこに泊まろうかなと考えていた矢先に、どしゃぶりの雨となってしまった。これがテントを張った後だったらまだしも、こうなると惨めなものである。しかも、摩周湖を出てから、走行中に、目のすぐ下に大きな虫が当たって、片目が腫れてしまったのである。走り出してバイザーを下げようとした時だった。時速は60q/h以上出ていたから、たかが虫とはいえとても痛かったし、結構な傷になってしまった。そんなこんなで今日はほとほと疲れたので、どこかで落ち着いて食事がしたかったが、こんなずぶ濡れではそれも出来ない。しかし大雨の中、定食屋が見つかったので、そこでバイクを停めて店に入った。
 さすがにずぶ濡れの客が入ってきて、店の人はびっくりしてすぐにタオルを渡してくれた。僕は椅子が濡れてしまう事ばかり気にかけて、「座ってもいいですか、食事してもいいですか」と聞いた。だが断られる事もなく、かえって、タオルで体を拭くことも出来たし、そのタオルをいただくこともできた。さらにはすぐそばに道の駅があるからそこで休めばとアドバイスもいただいてありがたかった。
 それにしてもこういう経験は歳を取ったらなかなか出来るものじゃないのかなと思う。いや、当時はそんなことも思わず、ただ、「こんな惨めな思いは歳を取ってまでしたくないな」としか思っていなかった。
 しかし大雨の中でテントを張るのほど惨めなものはない。荷物も、シュラフも濡れてしまう。そして雨は降り続け、テントの中にも水溜りが出来てしまった。道中、団体で日本一周を目指しているライダーたちがいたけれど、彼らのように愚痴を聞いてくれたり励まし合える仲間もいない。ただ一人、濡れたまま横になって、テントに当たる激しい雨の音に、怒りにも似た惨めさが募るばかりだった。

 
左:ずっと雨だったので駅前で写真だけ撮ってすぐに出発した釧路駅前。
右:厚岸の辺りから雨が止んだのでバイクを停めてのんびり写真撮影。


 
かの有名なカヌーイストもここを下ったりしたのかなあ、などと思いつつ撮る。


 
左:日本最東端を制覇!と喜び勇んで近くの定食屋で贅沢にいくら丼を食べた納沙布岬。
右:霧じゃなかった摩周湖。ただお世辞にも天気が良いとは言えない。


【走行距離】 本日:622km / 合計:2,269km
北海道広尾郡大樹町 〜 同紋別市

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