■旅行記 ”日本一周旅行”  4日目 : 立ち往生  (1996.08.11 Sun)

 昨夜は幸福感と疲労感の中で早々に眠りに就いたので、今朝は5時頃には目を覚ました。今日こそは早く出発しようという気持ちだったので、腕時計の目覚ましを早めにセットしておいたが、やはり興奮からか、アラームが鳴る前に既に目覚めていた。
 初めてのテント泊は、もちろん落ち着かなかったが、意外や意外、ぐっすりと眠れるものである。もちろん、テントを張る場所に依るだろうが、ここは少なくとも日本であって、砂嵐に遭ったり、巨大アリやサソリに咬まれたり、海賊や山賊に身包み剥がされるわけでもない。もちろん、何かそれ以外の危険な出来事が起こる可能性はゼロではないのだろうけど、自分はどうせ何も持ってやいないし、それでも何かあったら、その時はその時だと、こんな時はそう思えるものである。これは大げさではなく、最悪、失うものと言ったら自分の命一つだけで、それはもちろん自分にとっても残念なことで、僕を知っている人の何人かは残念がってくれるかもしれないけれど、自分で自分の責任が持てる範囲内のことであると思えるものである。もしここに親兄弟がいたり、愛しい妻子でもいるものならさすがにそういうわけにはいかなくなるだろうが、そこが一人旅のいいところであって、いまの自分にはそれしかできないからそれをしているに過ぎなかった。
 話が少々逸れてしまったが、もっと現実的な話をすると、素人ながらも、少しでも何か、より安全そうな場所を、感覚的にでもいいから選択しようと思ったりはした。あまり目立つ場所でも困るけど、あまりに目立たない場所も怖いなとは、本能的に思うものである。いかなる場合でもそんな適当な判断は必要だと思う。曖昧という意味ではなく。
 さて、早々に目が覚めたし、川原で顔を洗い、おにぎりなどを昨夜のうちに既に買っておいたのでその場で腹ごしらえをして、もう6時前にはテントをたたんで出発した。日本地図を見る限りでは、本州の最北端、下北半島の果てにある大間岬までは大した距離ではないように思えたが、とにかく早く行って、早くフェリーのチケットを入手しなければという思いでいっぱいだった。函館の親戚から以前、フェリーにも帰省ラッシュがあって、たとえバイクと言えども乗船までは随分と待たされる、と聞いていたからだ。
 8日に家を出る時もそうだったが、早朝どころか、午前中の走行自体が初めてだったから、朝もやの中を疾走するのは久しぶりでとても気分が良かった。自動車や自転車で走っても分かるだろうけれど、本当に朝早いと街の空気がひんやりとした気持ちのいい湿り気を帯びていて、次第にそれが消え、今度はひどく澄んでくるのである。もちろん、岩手県の上半分に達するほどやってきたわけだから空気は澄んでいて当然かもしれないが、朝の、交通の少ない街中を走り過ぎるとき、田園の中を朝日を受けて走っていくときなどは、早起きの優越感みたいなもを覚えることさえある。そんな中を静かに疾走していく心地よさは、眠気にさえ打ち勝てれば毎日でも体感したいくらいである。
 八戸駅前で休憩ついでに写真を撮った意外はほとんど休まなかったので、早朝から走り出した僕は、昼過ぎには下北半島の細くなっているところ−斧の柄の部分−までやってきた。ここまで来るとひどく平坦で、東も西も海のせいか、ひどく風が強くなってきた。それに青森市街に用がある人もここまでは来ないので、急に往来が少なくなってくる。正直、ここを走っている人は全員、大間港からフェリーに乗るのではないかと錯覚するくらいだった。対向車も滅多になく、車に抜かれることも抜かされることもなく、しばらく一人の時間が続いた。
 半島の、斧の歯の部分に差し掛かってくると、次第に起伏の多い地形になってきた。国道と言えども路面はひび割れ、凸凹になっており、多少崩れてアスファルトの破片だか石だかが転がっていたりしていて、バイクで走るには注意が必要なくらいだった。道路も狭くなり、同じフェリーに乗り合わせて下船したと思われる人々が自動車で群れを成してやってくるのだが、北へ向かう、僕の前後の自動車は、彼らとすれ違うのさえ面倒なほどであった。僕自身は路面にさえ注意していればさほど問題もないのだが、ちょっとした渋滞に巻き込まれたようになった。しかしそれはもう本州の最北端が近づいているのだろうと容易に察することが出来たので、あまり憂鬱ではなかった。そして、起伏のある道を緩やかに下りて行った先に海岸が現れ、大間崎にいよいよ到着した。
 とにかくフェリー乗り場を見つけ出して急行してみたが、早速、「2、3日のキャンセル待ち」と聞いて、万事休すだった。
 しかし、回り道があるわけじゃなし、泳いで行けるわけじゃなし、既に順番待ちの札ももらっているのでかえって気が楽になった。記念碑やフェリーのところで写真を撮ったり、まるでハエのようにぶんぶんと集まった様々なバイクをのんびりと遠巻きに眺めたりして、なんとなく暇をつぶした。ギターがあるわけじゃなし、連れがいるわけじゃなし、買い物してお金を使うわけにもいかず、開け放しのテントに半分だけ身を入れて日差しから逃れていた。何しろ埠頭だから木陰などないし、待機できるような建物ものないので暑いのだ。
 しかし、改めて大集結したバイクたちを見ていると、大きくて速そうで高そうなバイク、ピカピカに磨かれた、モデルのようなきれいなバイク、いかにも旅行慣れしてるような服装のやつなど、バイクもライダーもみんなド派手さや華やかさを備えていた。そしてどこを見渡しても、僕みたいなしょぼいやつはいなかった。僕はバイク用のスーツやブーツを持っていないし、そして何よりとんでもない箱を背負っている。まるで、よごれたTシャツと破れたジーンズに裸足という恰好で、クラブパーティーにでも迷い込んでしまったようでなんとなく居づらかった。
 僕の顔はしばらくの間、不機嫌そのものだったと思うが、そんな気持ちを覆すには、やはり日本一周を果たさなくてはならないんだ、という勝手な気持ちでいっぱいになった。どんなにみじめな恰好でも、動機が何であれ、自分が果たしたい夢、満足できることを思いっきりやれば、そんなことは小さいことに思えるようになるのだろう、と。そうすれば自ずと、些細だけれど誇りにも思えるだろうし、何かしら自信もつくだろうし、周りも、なんとなく自分を以前より認めてくれるような気がした。所詮、そんなことしか思い浮かばないのだが、当時の僕は、とにかく何かを必死に追い求めていた。
 しかし、どうしたって今日はこのまま日が傾くのを待ち、やがて来る夜がさらに明けるのを待たなくてはならない。そうやってテントの中でいろいろ考えながら過ごした。
 

  
本州の最北端までやってきた。
八戸あたりで雨に降られたが、何とか自宅から1000km走破。


 
津軽海峡を渡れずにいるバイクたちが集結していた。
このフェリーには乗れず、指をくわえて待ちぼうけ状態のバイクたち。


【走行距離】 本日:283km / 合計:1,000km
岩手県盛岡市 〜 青森県下北郡大間町

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