■旅行記 ”日本一周旅行”  3日目 : 旅の始まり  (1996.08.10 Sat)

 郡山を出たのもお昼ごろだった。こう毎日毎日、半日しか走っていないとなると、もちろん走行距離は伸びやしない。自分としては「今日で3日目なのに、こんなことでは中途で夏休みが終わってしまう」という気持ちでいっぱいだった。やっぱりなぜか、焦ってしまう。
 さて、そんなことを考えながら走っていても、まだまだ仙台だ。正直、旅行としてもまだまだという気持ちだ。ここら辺までならその気になれば本当に実家から一日で来られる距離だと思えるからだ。しかもここから三陸海岸をくねくねと走っていかなければならず、お盆に札幌に到着することは出来ないなあと、ろくに仙台の街も観光せずに、ただ行き先のことばかり考えていた。本州最北端の大間岬からフェリーに乗るのにどれくらい待たされるかも心配だった。
 今思えば何をそんなに焦っていたのだろうと思うのだが、初めて訪ねる函館と札幌の親戚に前もって連絡していた到着時期からあまりに外れてしまっては失礼になると思い、いま思えばあっさりだが、三陸海岸ルートは諦めて、そのまま国道4号線をひたすら北上することにした。
 海岸を行かなかったという妙な後ろめたさを抱きつつ、憂鬱のうちに走り出した仙台から先の景色は、そんな気持ちとは裏腹に僕をようやく旅気分にさせてくれて少し感動的でさえあった。夕方なのにひどく空気が澄んでいて、けれどそれなりに雲があって、雲の合間から太陽の日差しが眩しく劇的に伸びていた。緑の草原や背の高い森林が、その日差しを劇的に受けて浮き上がり、コントラストが眩しい、まるで絵画のような情景だった。僕はその中を、信号もなく混雑もなく、それでいて程よく穏やかなカーブが続く国道を、まるで夢を見ているかのようにその情景に見とれながら走っていた。いま思い出しても、遠巻きにその景色を見ているだけで、自分が前方を向いて、運転をしていたことを思い出せないくらい、その景色に入り込んでいた気がする。遂に、自分の知らない世界に飛び出したのだ、と思った。「これだ、この感じだ」。本当の旅の始まりだった。
 しかし、そんな幻想的な時間は長くは続かなかった。街に入り景色は変貌し、混雑に巻き込まれたり、今日はどこで夕食にありつけるだろうか、早朝はガソリンスタンドが開いていないことが多いから今のうちに入れておこうかなどと、落ち着かなくなってくる。
 日が暮れる前に何とか盛岡までたどり着いた。これ以上先を急ぐこともないだろう、などと思っていたが、その前にそう言えば、今日が初めてのテント泊ではないか。
 今まで、渓流で釣りをしたり、釣ったばかりの岩魚(イワナ)を七輪で焼いて食べたりという経験はあるものの、生まれてこの方、テント泊の経験がなかった。ちょっとだけ自分で自分が恥ずかしく思ったが、何もかも経験するために出てきたようなものだから、何をするにしてもまるで少年のように沸きあがる興奮と不安を抑えながら、大人としての平静を装っているのがやっとだった。そんな矢先、僕が走っている国道4号線が盛岡市街で北上川を跨いでいるのが地図でも見て取れたし、実際、かなり遠くからでもそれが見て取れたので、手前のコンビニで食料を調達してから、橋の脇から土手を下って、砂利の河川敷に降りて、そこに落ち着くことにした。
 場当たり的な僕はそこで、「そう言えば買ったテントはまだ、一度も使ったことがないや」と思いつつ、まだ丁寧にビニールに包まっているテントを出した。広告や注意事項や使い方が書いてある用紙が何枚か出てきた。使い方の紙だけに注目して、その場で見入った。
 これは、バイクに乗っているときに感じた恥ずかしさとは比べ物にならないほど恥ずかしく思えた。妙な箱を積んで、古臭いバイクに乗り、それなりにキャンプの雰囲気を出している粋がった兄ちゃんが、真新しいテントを出したかと思ったら、折り目もまだしっかりしている純白の説明書を取り出し、それを必死に読みながら四苦八苦しているのである。数日後には、目を瞑ってたって支度が出来るその一人用のテントが、その時はまだその構造−ドーム型テントのシステム−がいまいち分かっておらず、10分、15分経っても一向にテントを広げることが出来ずにいた。
 しかも、僕が到着した時には、残された時間など気にしてないようなご老人やステテコ姿の近所のおじさんらしき人がぽつり、ポツリと散歩をしている感じの、だだっ広い河川敷だったはずなのに、辺りが暗くなり、説明書の文字も読めなくなりかけた頃には、いつの間にか人が集まってきて、しかもみるみるうちにその数が増えていくではないか。近くにいる人は何気なく僕を見ていたが、話しかけて来る人もいた。それでもテントはまだ完成していない。そのうち、懐中電灯を出さないと説明書が読めなくなってしまったので、ギャラリーがいる中で懐中電灯をかざしつつ作業を続行した。もう、赤面の極みだったが、そういう意味では暗くなったのはかえって幸いだった。
 「なんだなんだ、やっと出来たか」と、そばで見ていたオジサンたちの失笑を受け、ようやくテントが完成したときには辺りは完全に真っ暗だった。そしてようやく平静を取り戻し辺りを見てみると、なんと河川敷は人でいっぱいではないか。浴衣の人、地べたに座り込む人、はしゃぐ子供たちの声。そんな中、「どかーん!」と一発上がった。花火大会だった。
 予定を決めていないから当然だが、こうして何が起こるかわからないところに、僕は一人酔いしれていた。そしてテントから半身を乗り出し、おにぎりを食べながら花火を満足げに眺めていた。その河川敷で僕だけが、テントの中から花火を楽しんだ唯一の観客だった。
 この平和な満足感は一体何なのだろう。ただバイクで出掛けただけで、なんでこんなに楽しいのだろう。その場ですぐに答えなど見つからないけれど、それにしても今日もまた最後の最後でこんなハプニングが待っているとは、と、テントの中で幸せいっぱいだった。その気分の良さと、連日の夜更かしの疲れに、9時過ぎにはあっけなく眠りについてしまった。 


左:ブレてしまっているが予期もしなかった花火をテントから撮影。
右:初めてテントを張った場所。しかしどこに張るといったことに躊躇することはなかった。
(翌朝撮影)


【走行距離】 本日:312km / 合計:717km
福島県郡山市 〜 岩手県盛岡市

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