■旅行記 ”日本一周旅行” 35日目 : 大都市大阪  (1996.09.11 Wed)

 落ち着かない市街地でのテント泊は、どうしても早朝に出発する事になる。今日の目標は大阪の堺市までなのでそんなに急ぐこともないのだが、通勤時間帯にもなればここも往来が激しくなって人目も気になるので早々に出発した。
 岡山から先は、とにかく都会というか工業のにおいがぷんぷんで、いよいよ大阪へ近づいているという感じがあった。それを言ってしまうともうこの先東京まではこんな感じがずっとずっと続くだろうという気持ちである。有終の美を飾れないというか、尻窄みな感じがして残念ではあるが、まさに「太平洋ベルト地帯」の真っ只中へ入っていくわけで、それが日本であるわけだから仕方のないことである。
 だから当然、バイクで走っていても気持ちのいいものではなかった。とにかく自動車の数、特にトラックの数が多くなると、空気は汚れに汚れてくる。トラックの後ろを走るのがいけないのだが、トラックの後ろは最悪である。そして昨日の四国とは打って変わって暑さがひどく、もちろん混雑した幹線道路はさらに暑さが増している。トラックの運転手と、窓を閉め切りエアコンを効かせて一人で悠々と自動車に乗っている人たちに、ガラス一枚越しに存在するこの不快感を味わわせてあげたいと恨めしく思うほどであった。しかし信号待ちなどで停まっていると両脇の自動車の中から哀れみの眼差しが飛んでくるだけである。
 しかも阪神大震災の影響が未だ衰えず、神戸付近は大渋滞であった。事故でもあったのかと思うほどであったがそうではないらしく、震災から一年半以上経った今でも、毎日がこんな感じらしい。
 道路の大混雑とは裏腹に、海岸に面した公園は静かだった。ポートアイランドには工事車両のみしか立ち入りが許されていなかったので神戸ポートタワーや外観が特徴的なオリエンタルホテルがあるメリケンパークに行ってみたが、そのどちらも営業しておらず中には入れなかった。まったく人がいないわけではないけれど、子供以外は明らかに、震災の傷跡を見に来たと言わんばかりの哀れみの表情に満ちていた。僕も例外ではなかったけれど、今いる波止場から顔を左の方向−東の方向−に向け、当時ニュースで大々的に報道されたポートアイランドを眺めたりしたが、僕ではとても想像できないほどの大惨事だったに違いない。僕が生まれてからの関東にはこれほど大きな災害は起きていないけれど、僕が生きている間に起きないとも限らない。そうなったら東京がどうなるかなど想像もつかないけれど、地面が激しく揺れたら自分はどうなるのだろうか、自分の部屋、住んでいる家と家族、そして街や社会はどうなってしまうのだろうというのは、僕には全く想像がつかない。また、この大震災を体験した直接的な知り合いもいないので、何もかも分からず仕舞いである。毎日のようにテレビで観たとは言え、やはりそれでも伝わらない物事は多い。
 静かで、なんとなくひっそりとしていたその公園を後にしたが、幹線道路はやはり相変わらずごった返していた。隙間を縫って進めども進めども自動車の列が途絶える事はなく、結局それは大阪まで続いた。
 混雑ぶりは東京とて同じであるが、回り道も知らないし、とにかく僕は大都市の大動脈を初めから終わりまで通り抜けなければいけないので精神的にもしんどかった。日中になり暑さはさらに増し、中心部を抜けて堺市へ入るというところはもう逃げたくなるような暑さと排気ガスでストレスもピークに達した。
 しかしそれでも、いとこやその家族に会うという目的があったからまだ救われた。気持ちのいい話ではないが松山の道後温泉以来風呂には入っていないし、人とゆっくり話をするのも鹿児島以来である。そしていとこの自宅に着くまでに多少迷ったものの、一度電話をしただけですんなりたどり着くことができた。
 しかし家に着くなり、この僕を「熱湯で消毒しなきゃ」と言わんばかりの眼差しで見るいとこの奥さんには驚いた。旅行中でテレビや新聞に触れてなかったから気にも留めてなかったが、ここらでは「O−157」という大腸菌が流行っているらしく、3歳の子供がいて、しかも自身も身重のこの家では特に敏感になっていて、何でもかんでも熱湯で消毒するらしかった。挨拶もままならぬうちに風呂場へ案内されたが、まさか風呂には熱湯が張ってあるのではないかというくらいに、「しっかりと体を洗ってらっしゃい」と言われて、恥ずかしいと言うかなんだか滑稽だった。
 そんなわけで願ったり叶ったりの風呂にすぐに入れたからありがたかったけれど、関東に比べて大阪は本当にいろいろなことが起こるなという偏見が僕にはある。堺市自体は地震の影響はさほど受けなかったというが、天災ではなく、人災である事件や事故が人口の多い関東より起きていると思うのは単なる気のせいだろうか。ここの家族も生まれも育ちも関東の人で、「まだ全然慣れなくて」と奥さんも言っていた。仕事一本の旦那さんと違って、奥さんは小さい子供もいるから余計に社会との繋がりが大きくなる。
 一家の長である十歳年上のいとこが帰ってきたのは夜遅かったが、まだ関東にいた頃は一年に一度は会っていたというくらいなので、3年半ぶりというのは本当に久しぶりに会ったという感じだった。向こうは二十代から三十代を跨ぎ、もうすぐ二人目の子供も出来るので本当に立派な父親、旦那、社会人という印象であった。対してこちらは十代から二十代を跨ぎ、以前会った時は本当に不甲斐ない浪人生だったが、勤勉とまではいかないがそれなりの学生生活を送っている今の僕がどう見えただろう。
 そして十年後の自分は今のいとこのようにきちんと仕事をして妻子でもいるだろうか、違うならどう違っているだろうかと、あまりにも模範的なお兄さんなだけに、そんなことばかり考えてしまった。



【走行距離】 本日:221km / 合計:8,927km
岡山県岡山市 〜 大阪府堺市

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