■旅行記 ”日本一周旅行” 34日目 : 秋の空  (1996.09.10 Tue)

 四万十川橋は往来が激しく、その真下にテントを張ったので初めは落ち着かなかったが、さすがに夜も更けると静かになった。しかも結構涼してぐっすり眠れた。もう秋である。
 先を急がねばと早朝から走り始めた。とにかく「どこに寄る」とか「何をしたい」というものはなく、ただただ先を急ごうと思った。
 しかし、そうであっても道に迷う時は迷うものである。「何も見ない」とは言え、さすがにトイレ休憩なども兼ね、高知駅くらいは寄って行こうと、国道から逸れて市街へ入ってきたのだが、国道のバイパスが急に途切れているような場所に来てしまい、それで道に迷ってしまった。
 大きな都市の駅ともなると、線路の本数も多くなり大河のように堂々となるので、道路の感じや街並みの感じから「あっちの方向かな」などと分かるようなものであるが、今回はそういう当てずっぽうが利かなかった。それほど標識や看板で大々的に明示してあるわけでもなく、「やっぱり車社会なのかな」などと思いながらもまだ駅を探していた。それはそうと今日は天気がとても良く「空がきれいだー」と感心もしていた。
 すると不意に、視線の先のその空の上に「天守閣」が姿を現した。全く予期してなかったし、あまりに高いところにひょっこり現れたので驚いてつい見とれてしまった。とは言え走っているからすぐに間近な建物の影に隠れてしまったが、「今のは何だ?」と、駅のことはさておきそちらに気を取られてしまった。
 高知城。僕はそこにそんなものがあることなど全く知らなかった。天気が良かったせいもあるだろうけれど、眩しいほどの白塗りの天守閣が秋を思わせる澄んだ青空を突き上げるように聳え立ち、観光スポット巡りが好きではない僕でさえ、そのあまりに見事な景色にぜひ行ってみようと思い立ってしまったほどである。それにしても道路からだととても空高い位置に見えるので、それが印象的でならなかった。
 早速城の中に入ってみると、観光用に建て直されたものではなく、築城からおよそ400年というのはさておき、再建されてからも250年近い歴史があるということで、城内の床の軋み具合や、びっくりするほど急で、やはり同じように軋む階段に用意されている木製の取っ手の握り具合、そしてやっとの思いで登りつめたと言わんばかりの高さにある天守閣からの見事な眺め、どれを取ってもこの僕をいちいち感動させ興奮させた。この旅行に限らず、あまり城など落ち着いて観光した事などなかったが、これだけ楽しめれば城めぐりも悪くないと思った。
 ただし、全国に散らばるどの城もそうかと言うと、僕はそうとは限らないと思う。観光目的一色で、残っていた城址に最近建てられたものもあるだろうし、そもそも城址もなかったのに復元されたものも中にはあるかもしれない。それはそれで歴史を学ぶにはいい機会かもしれないが、そういうものにはあまり興味が湧かない僕は不自然だろうか。
 とにかく、坂本竜馬にまつわる品々も間近で見ることが出来たし、この高知城見学は偶然の産物にしては出来すぎているけれど、盛岡や北九州での花火にしろ、これだけ長い期間自由気ままに旅行をしていると、思いがけない嬉しいハプニングが少なからずあるものだなあと他人事のように感心してしまった。「市街へ行ってみよう」と思わなければ、そして道に迷わなければ、さらには、仮に見かけたとしても秋晴れでなければその姿に心奪われる事もなく、もしかしたら寄る事もなかったかもしれない。
 高知城に1時間半近くいたから、それから先は急いだけれど、高知城での興奮とは裏腹に、それ以外では感動も薄いままに高松に到着し四国巡りを終え、あっという間に岡山までやってきた。何かあるだろうと思って行った室戸岬にはびっくりするほど何も無く、その他も残念ながら特に思い出に残るような景色はなかった。フェリーも行きと同じようにあっという間に出発してあっという間に着いてしまい、日没までまだ時間はあったけれど今日はそれ以上進む気はなかった。
 なぜもっと走らなかったのかというと、岡山に着いてからというもの、大阪は堺の親戚と連絡が取れたからである。さすがに今から走っても着くのは夜中になるし、あまり頑張って近くまで行っても、明日の午前中を持て余してしまうからである。
 そんなわけで岡山市街にテントを張ったのであるが、さすがに中心地−−岡山駅を街の中心とすると−−歩いて5分10分のところにある、用水路のような川に蓋をするように設けられた遊歩道の一角にテントを張ると、さすがに往来が激しくて人の目が気になった。とは言え、いつの間にか今にも雨が降り出しそうな天気だし、既に薄暗くなりかけていて、確かに落ち着かなかったのだが、仕方がなく落ち着いてしまった感じであった。
 そして、その不安が的中するかのように、ちょっとだけ怖い思いをした。
 テントの中にいて外は見えないけれど、外の音はよく聞こえるので、ちょっと離れた場所でも自転車が通り過ぎる音とか、話しながら歩いてい来る人が遠ざかってく音などが否応なしに聞こえてくるのであるが、どう見積もってもテントのすぐ脇、本当にテントのシートを一枚隔てただけと言わんばかりのところに自転車が停まった音がした。一度は遠ざかったものの、またすぐにやってきて、今度は何やらごそごそと音がする。警官や防犯パトロールをしているおじさんみたいに声をかけてくるわけでもなし、普通に遊歩道に自転車を停めるには明らかに不自然な距離である。テントさえなければ、大袈裟ではあるが気分的には「肩がぶつかる」というほどの距離である。
 これまでの34日間の中でも、これだけ「怖い」と思った瞬間はなかった。見えないからこそ余計に不安な気持ちを掻き立てられるが、「何が起きるんだ、どうしよう」と、テントの中で一人、窮地に追い込まれた獣のように全身に緊張をみなぎらせていた。
 こうなったらやはり、テントを飛び出すしかこちらには手がない。しかしごそごそとのんびり出ては、何かあっても対処できないから出るなら一気に素早くと決めた。いいことに、自転車が停まっているのはテントの出入り口側ではなかったので、テントの中で静かにサンダルを履き、「せーの」と心の中で掛け声をして、テントのファスナーを一気に引き上げ、勢いよくそのまま外に飛び出した。
 振り返って見ると、浮浪者らしき格好の腰の曲がった男が自転車のそばに立っていた。さすがに僕が急に出てきたものだから相手はひどく驚いて、自転車ごと倒れんばかりだったが、慌てふためいた様子で自転車に跨ったと思ったら、自転車の前カゴにたくさん入っていたポケットティッシュの一つを、怯えつつ顔を隠すように前かがみになりながら手を伸ばして僕に差しだし、呆気に取られていた僕が受け取るか受け取らぬかというところで走り出してどこかへ行ってしまった。
 本来怯えるのはこちらで、結果的には大したことはなかったけれど、その男が行ってからもしばらくはその場に放心状態と言わんばかりに立ち尽くしていた。
 手にはポケットティッシュひとつ。一体何だったのだろうか。

 
左:奥の天守閣よりもさらに古い手前の追手門(おうてもん)。
追手門とは大手門のことで、正門でありながらも防御の為に頑丈にかつ狭く造られている。
右:天守閣最上階からの眺め。これは北西の景色である。


【走行距離】 本日:428km / 合計:8,706km
高知県中村市 〜 岡山県岡山市

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