■旅行記 ”日本一周旅行” 21日目 : 手痛い秋雨前線  (1996.08.28 Wed)

 朝、一時は雨が止んだものの、とにかく大雨はずっと続いた。九州北部に秋雨前線が停滞し、数日は天気が回復しないと、ラジオの天気予報で聞いた。
 誰かの家に向かって進むならば、どんなに雨に打たれてもどんなに汚れてもいい、という走りが出来るけれども、これから当分の間はそんな事がないとなると、そんな捨て身の走りも出来なくなる。かと言ってホテルや旅館に泊まる金銭的余裕など無い。
 外は大雨というテントの中でずっと考えていた。どこかゆっくり出来るようなところを探して、そこで秋雨前線が行くのを待つべきかと。この公園でもよかったのだけれど、往来する船が未明にうるさかったり、駅のそばの公園だからそれなりに人の往来もあって、なんとなく落ち着かなかったのだった。
 雨が止んだ隙に外へ出て写真を撮ったり出発の準備をしたけれど、昨夜、相当な人で賑わっていた公園には、びっくりするほどのゴミが散乱していた。埠頭のそばのとても広い芝生の公園は、海峡を往来する船舶を眺める事が出来たり、目と鼻の先にある下関の様子を伺うことさえできる、とても素敵な場所ではあるが、それが見事に台無しであった。
 そしてそれは門司港駅周辺も同じだったから、驚きは尚更だった。ここまで来ると驚きと言うより悲しみである。言葉を失うほどだった。
 そんな門司港駅で写真を撮ってからは、雨が止んでいるうちになるべく進み、ここから海岸線をずっと行けば、いつか手ごろな砂浜にでも出くわすだろうと、そんな気持ちで走り出した。
 しかし、大きな河口だか入り江があったり、工業地帯で工場が連なっていたりと、意外と走りにくく、砂浜のイメージは一切無かった。それに天気は回復するどころか、降ったり止んだりを繰り返していた雨が、挙句の果てに大雨となった。
 精神的にもこんな中を進む余裕は無かったので、とにかく一番初めに見つけた砂浜にテントを張ることにした。そして大雨はいよいよ見事な「豪雨」になった。
 まだ、衣類や荷物が濡れていなければ、なんてことはないのだ。それに北海道のような寒さも無いからまだ救いなのかもしれないが、北海道の時と明らかに違うことが二つあって、一つはやはり「衛生面」である。今日で5泊目のテント泊で、途中で洗濯などをしたとは言え、洗った衣類は生乾きのものがあったり、着替えて濡れたままのものが袋に入ったままだったりする。温泉津で風呂にも入ったけれど、結局あの時も雨に見舞われ、さっぱり爽快、という感じは薄かった。
 そしてもう一つは雨の量である。大粒の雨がものすごい量で降ってくれば、新しいテントだって雨水が染み込んでくる。ましてやテントの周りに水が溜まり、それもテント内に入ってくるのである。自分が座っているアルミマットは1センチ弱の厚みがあるからいいけれど、それ以外は水溜りが出来るほど濡れてしまっている。もちろん濡れないように努めているとは言え、シュラフだってもう気持ちが悪いくらいびちょびちょである。この雨で、日記を書く際や、寝る際の枕として使用していた国語辞典が完全に濡れてしまって、倍くらいに膨れ上がってしまった。
 いくらテントの中で静かにしてても、こんな豪雨の中ではとてもすやすやと昼寝など出来やしない。惨めさと疲れと寂しさが交錯して、本当に憂鬱な時間が過ぎるばかりであった。まだ昼過ぎだけれど、秋雨前線が過ぎて天気が回復するまで、ここに居ようと決めた。
 さて、夕方になり、砂浜では、雨が止んでいる時を見計らって小さな花火大会が行われた。僕がテントを張ったところからはかなり離れていたが、この砂浜では今日まで雪祭りならぬ砂祭りというか、砂で作った造形展みたいなものをやっていて、今日はその最終日で、花火と、ちょっとした野外ライブが行われた。
 よくもこんな大雨の合間に、という絶妙のタイミングだったが、テントの中で伏せっていた僕も外へ出て、これまた絶妙なタイミングでいい気晴らしになった。
 思えば盛岡でも同じように、偶然の花火大会があって、あの時は無邪気に喜んでいたなあ、などと、まだあれから半月ちょっとしか経っていないのに、それが既に遠い遠い日の思い出のようで、やけに懐かしく思えた。
 

 
左:ここが門司港のそばにある公園。霞の向こうに関門橋が見える。
右:僕がテントを張った場所はまだ良かったが、昨夜の催し物のせいか周りはゴミだらけだった。


 
高校生の時もまったく同じような写真を撮った門司港駅前。


【走行距離】 本日:61km / 合計:5,796km
福岡県北九州市門司区 〜 同遠賀(オンガ)郡芦屋町

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