■旅行記 ”日本一周旅行” 11日目 : ルーツをたどって  (1996.08.18 Sun)

 昨夜、と言っても今朝だが、眠りに就いたのは朝の5時だった。僕に勝るとも劣らぬお喋り好きの母と娘と三人で話しこんでしまった。今までも散々お話したのに、なぜか話が尽きる事はなかった。僕のバイク旅行の話は少なく、若くして亡くなってしまったこの家のご主人様の話からはじまり、彼女たちの生活や北海道そのものの歴史から、隣の部屋ですやすや眠っている幼い子供たちの将来のことまで、本当にいろいろな事を話した。それに比べ僕の話題ときたら、やれ遊んでばかりで将来どうなるか自分でも不安だとか、ちょっと前に失恋して自分では結構堪えてるとか、そんな暗い話ばかりだったが、それがかえって時に笑いを誘ったようで、そんな他愛もない話も織り交ぜながら、一番下の坊やが未明になって「わーん!」とやらなければそれこそキリがなかったほどだった。
 そんなわけで、みんな朝寝坊だった。でもここの家の人はそれでも僕より早く起きて、せっせと働いていた。僕はまったくもって良いご身分である。すまないと言うか、ありがたいと言うか、恥ずかしいけれど、おんぶにだっこという甘えぶりであった。そんなわけで、この家を出たのは確か3時ごろだった気がする。
 前回、ここを出発した時と違って、もうここには帰って来ないわけだが、最後は母と娘とその赤ちゃんの、つまりは3代揃って見送ってくれた。何だかんだ長居してしまったが、手厚くもてなしてくれ、そしていろいろと助けてくれたことに感謝の気持ちで一杯で、感極まる思いだった。正直、バイクにまたがり、走り出すのを拒みたいくらいだった。
 さて、涙ながらに出発し、走り出してはみたものの、函館の親戚の家に着くまで、途中で一枚だけ写真を撮っただけで、後は何も覚えていない。急いでいたせいもあるけれど、風景も、出来事も、この区間はまったくと言っていいほど思い出せない。函館に着いたのはもう暗くなってからだったが、それまで、ずっと札幌での出来事や、そこで話した数々の事ばかりを考えていたに違いない。
 旅行を始める前は、僕の旅がこんなものになろうとは、もちろん分からなかった。遠い親戚に会い、お世話になるという事ぐらいは予定しているから分かるけれども、どんな人たちと会って、どんなことを話して、そしてどんな雰囲気に包まれるのか、そんなことまで分からないし考えもしなかった。ただ出掛ける前には自分がその時点で知っている、どこどこへ行きたいとか、だれだれと会いたいとか、そんなことしか考えていないわけである。そして、自分が当初考えていた物事よりも、よほどそういった想定していなかった出来事の方が、新鮮で、感動で、ありがたくて、心に深く残るものであった。もちろんそれは僕が恵まれているに過ぎないわけだけれど、それまでは意識しなかったようなものを意識するようになり、今まで平気で周りに存在していた、自分ではごく当たり前のことと思っていたことに感謝の気持ちを持てるような、そんな気持ちがした。未だにうまく表現することが出来ないが、微妙な心理の変化を体感した。
 そう、そんな体験が出来たのも、夜になってやっと到着したこの函館の家があるからこそである。この家は神奈川にいる僕の叔父の奥さんの実家で、この家のお母さんと札幌のお母さんは姉妹なのである。そんな細い縁を無理やり頼ってお世話になってしまったわけだが、まさかこんなに思い出深い旅行になるとは思いもしなかった。
 そして今日、そんな思いを背負って、ここでみなさんと再会したわけである。改めて、感謝の気持ちでいっぱいで、ずっとずっと頭が上がらなかった。
 今まで旅行をしたことがないわけではないけれど、こんな気持ちになったのは初めてだった。わざわざ言葉にして言うのは恥ずかしいけれど、親のありがたみみたいなものをしみじみと感じた一日だった。


あまり意味はないが、バイクのメーターが2万キロをマークした瞬間。
ちょうど、旅を始めてから3千キロを走った計算になる。


【走行距離】 本日:356km / 合計:3,213km
北海道札幌市南区 〜 同函館市

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