■旅行記 ”日本一周旅行” 32日目 : 四国上陸  (1996.09.08 Sun)

 湯布院に泊まったときもそうだったけれど、一人で退屈なテント泊は本当によく眠れ、しかも朝早く起きれる。鹿児島での5日間は体調が悪かったにもかかわらず飲酒に夜更かし喋り過ぎだったので、ここ2、3日で喉の調子も完全に戻ったようだし、走行距離もだいぶ稼げた。まあそれは、天気が良いせいでもある。都城以来、雨に降られていない。
 雨こそ降らないものの、瀬戸内の海上は、湿気の多い夏だからだろうが、いつでも靄がかかっているように見えた。しかしそれがちょうど良い具合になっていて、瀬戸内海に浮かぶ無数の島々が、手前にあるものは濃紺で、奥にある島ほど淡い色になっていて、それが雲の上に浮かんだ山脈のように幻想的に重なり合っているのである。靄の中に浮かび上がる島の輪郭は浮世絵のように繊細で、先を急ぎながらも、ついつい脇目を振りながら走っていた。
 そうこうしているうちに瀬戸大橋が見えてきた。しかし財布の中身を確認しなくとも、この橋を渡るほどの余裕が無いことは既に承知だった。国道から橋を見上げると、びっくりするほど高いところに橋が架かっているようだったが、敷居も高いその橋の下をそのまま通過し、四国への連絡船の港がある宇野へ向かった。
 フェリーは津軽海峡で乗った以来である。バイクでフェリーに乗り込むと、バイクで旅行してるだけで十分に感じている旅情がさらに加速するような感じがして感動的である。それを楽しみに、もうあまり景色など気にせず、ただただ港まで急いだ。
 とは言え津軽海峡と同様に、海を渡るのにまた随分と待たされるのだろうかと思って港へ着いたら、「君、君!船に乗るなら急いでこっちこっち!」と、乗船券を買ったか買わぬかという急ぎ足で船に乗り込んだ。フェリーと言っても函館で乗ったような大きなものではなく、静かな海を一日に何十往復もするような小型のものだった。
 しかしそれでも、波止場からフェリーに乗り込む際に、波止場とフェリーに渡した鉄板を勢いよくバイクで走って乗船する時の何とも言えない妙な感触は、函館で味わったものと同じくらいに感動だった。
 そして加速した旅情をからだ中で静かに感じていたのも束の間、あっという間に高松に着いてしまった。ほんの数十分である。なんとなく拍子抜けしてしまったが、それはフェリーの上だけではなく、高松の街に出てからも、特に本州や九州と違うところも特色もなく掴みどころが薄いので、街に出てからも少しばかり「さてどうしたものか」と考えてしまった。結局すぐに走り出してしまった。
 ここまで、8千キロ近い距離を延々と走ってきて、特にずっと沿岸を走ってきたものだから、全国どこも同じような雰囲気だな、と感じてしまった。地域の格差、大きな都市、小さな漁村など様々とは言え、衣、食、住、とほとんどの文化も同じもので、どの都会にも同じような目抜き通りがありビルがあって、どの漁村にも同じような浜があり船がある。
 高松から松山に向かって走っている間にこんなことを考え、つい、退屈さを感じてしまった。これはその地域の人に失礼というわけではなく、偏に自分が単調な旅行を続けているからに過ぎない。
 それが、自分がいろいろと見聞を重ねて成長したことを意味するのか、それともいろいろと見聞を重ねたにもかかわらず成長していないことを意味するのかは分からないけれど、僕にとって旅とはやはり、人に出会ってなんぼだと思う。そして人生そのものも、様々な人と出会うだけでなく、それと同時に互いにどれだけ影響し合えるか、だと思う。
 もちろん自分が行ったことのない地域にバイクで向かうのは快感に似た満足感を覚えるし、見たこともないような景色を目の当たりにして声を出して感動したりするけれど、それだけでは何かが足りない。
 「出会いは人を変える」という言葉を思い出した。ある知り合いから聞いた言葉だけれど、今の僕には今まで以上に心に響く、心に染み入る言葉になった。
 

 
左:島々の濃淡がとてもきれいだった瀬戸内海。
右:既に9月に入っているのでフェリーと言えどもそうは混んでなかった。


 
左:自分ではどうにも出来ず、こうして船に身を任せている時にひどく旅情を掻き立てられるのはどうしてだろうか。
右:自分が卒業した高校と同じ名前なのでこれまた妙な愛着が湧く。(松山市)


【走行距離】 本日:395km / 合計:7,989km
広島県広島市中区 〜 愛媛県松山市

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