■旅行記 ”日本一周旅行” 30日目 : 一人旅再び  (1996.09.06 Fri)

 さすがに朝は早めに起きた。今日こそは鹿児島から抜け出さなければならないという思いがあった。二日前には出発の予定が、ついつい延び延びになってしまった。旅行は急ぎたくないとは言え、夏休みはあと10日しか残っていないことだけはさすがに心に留めてあった。
 「あと10日で本当に帰れるのだろうか」と、まるでアメリカ大陸でも横断しているかのような発言だが、時間切れだからといって真っ直ぐショートカットで帰宅はしたくなかった。多くの人に助けてもらったとはいえ、やはり自分が納得の行く走りでこの旅を終えたい。いや、それだからこそ、かもしれない。
 さておき、いま目の前にいる、あのカヌーイストのマネージャーさんは、実は地元は鹿児島ではなくて島根であって、このあたりに同世代の友人がいるわけでもないようなので、自分で言うのも恥ずかしいけれど、昨夜も今朝も、僕と話をしていてとても楽しそうだった。一人で旅行中の僕はもちろん楽しい限りであるけれど、そのことは僕にとっても嬉しい限りでもあった。
 この長い鹿児島滞在でも、結局はあのカヌーイストには会えなかったのだけれど、前にも述べたが僕はもしかしたらあのカヌーイストがここに居た以上のものを得る事ができたのかもしれないと思うことがある。もちろん、本人が居たら居たで、それはそれは大興奮の嵐が巻き起こり、それこそ悠長にこんな文章を綴っていられないくらいだったかもしれないけれど、しかし僕が思ったのは、こんな僕に同情してくれて、温かく迎えてくれた人たちは、有名だろうが無名だろうが、年寄りだろうが若かろうが、変わらずみんながみんな恩人であり、同じように尊敬に値するということである。しかしこの僕がそういう風に思えたのも、そもそもこの旅行の目的が「あのカヌーイストに会うこと」だけではなかったからかもしれない。そしてさらにはあの釣具屋の前の公衆電話ボックスで僕が「あのカヌーイストさんはいないんですか、残念だ。それではさようなら。」とは思わなかったから、そしてそれ以前に、「あのお方は留守なんですよ、でも、よかったら泊まりに来ませんか。」と言ってくれたカヌークラブの会長さんがいたからこそ、である。
 そう思うと人との出会いというものは、本当にほんとうに些細な出来事と些細な出来事の鉢合わせ、偶然と偶然の、偶然の一致の上に成り立っているようなものである。「生まれたときからこの瞬間を待っていた」なんて浮ついた事は言わないまでも、この旅行は僕の一生の中でもう二度とは起こらない貴重な貴重な出来事なのである。仮に将来、同じように日本中をバイクで巡る旅に出たとしても、もう二度と、同じ出会い、同じ感動を味わう事はないのである。味わいたくても味わえないのである。
 鹿児島を去るにあたり、そのような事を延々と考えてしまった。信じられないようなこの貴重な5日間が、もうすぐ終わろうとしている僕にとっては、それは仕方の無い事かもしれない。そんなわけで、出発前の僕は少し憂鬱で、もしかしたらマネージャーさんに少し気を遣わせてしまったかもしれないけれど、しかしマネージャーさんは嫌な顔一つせず、朝食を用意してくれたり、軒先で写真を撮ってくれたりした。
 北海道で味わった感じとはまた少し違った気持ちで一杯だったが、それをうまく形容する事が出来ない自分を残念に思う。とにかくマネージャーさんには出来る限りの感謝の言葉を述べ、出発の準備が整ったのでバイクのエンジンをかけた。会長さんへ、そして住まいとベッドルームを間接的に提供してくださったあのカヌーイストへの感謝の言葉、そして目の前のマネージャーさんへの感謝と別れの言葉など、言い出せば尽きることが無いくらいだった。もちろん3日間も僕を世話してくれたあの砂浜の夫婦へも、である。だからいつまで経って、バイクは発進しなかった。エンジンのかかったバイクに跨ったまま、マネージャーさんと何度も握手をして、何か忘れ物は無いか、何か言い忘れた事は無いか、何も無いようだけれどもう一度確認してみようと自分の心に言い訳をして照れ笑いをしながらも、その笑顔の裏では哀愁漂う旅の定めをひしと感じ、人生の定めさえ考えさせられるほど真剣そのものであった。たかが旅行一つで何を言うかと思われるかもしれないけれど、一生のうちでこんな貴重な時間を過ごし、こんなにも感情の嵐が吹き荒れる経験があと幾つ出来るだろうかと思うと、決して恥ずかしい事ではないし、むしろ誇りに思うくらいだ。
 さて。そんなわけで、ようやく、自分勝手に、ここに残された自分の心を振り切るかのように出発したのは、もう朝と言うよりは昼を感じるような時間になってしまっていた。
 それからは、脇目も振らず走ったと言っていい。都城市ではとんでもない勢いのにわか雨に打たれ、人気のない軒先でしばらく雨宿りをしたりしたが、それも止むか止まないかで出発し、とにかく先を急いだ。
 とは言え、さすがに本州に戻るほどは走れなかった。今思えば大した動機ではないけれど、なんとなく福岡県にある「山田市」というのが気になって、きれいに丸く突き出した大分県の国東半島へは向かわず、大分市から内陸に向かって走ったが、結局その山田市にも届かず、湯布院まで進むのが精一杯だった。
 湯布院町に入ったのが既に夜の8時ごろで、寝床が見つかるか心配だったけれど、大きなドライブインがあって、そこは駐車場ががらがらだったので、難なくその駐車場にテントを張った。
 贅沢な気持ちだけれど、思えばテントで眠るのは久しぶりである。そして一人で寡黙に過ごす夜も久しぶりである。テントの中に横になり、鹿児島での日々を回想しつつ、静かに、そしてあっという間に眠ってしまった。


借家前にて。奇跡の5日間を過ごした鹿児島をいよいよ去る、というところ。


【走行距離】 本日:425km / 合計:7,170km
鹿児島県薩摩郡入来町(現:薩摩川内市) 〜 大分県大分郡湯布院町

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