■旅行記 ”日本一周旅行” No.00 : 出発前日  (1996.08.07 Wed)

 明日を出発日と決めたのはまぎれもなく、単なる験かつぎだった。西暦で記述するとピンとこないが、それはまぎれもなく平成8年8月8日だった。ちょっと前に祖母を訪ねたときも「止めはしないけれど出発するならその日にしな。しかも大安だで。変えるんじゃないよ。」と言われ、なおさらだった。
 しかし蓋を開けてみれば、出発を明日に決めたはずなのに、準備がまったく出来ていなかった。今回に限ったことではないけれど、僕は下調べや前準備という類のもには疎いのである。疎いと言うより単にいい加減な奴である。
 当時の日記を開いてみても、この日は「最悪」とさえ書いてあった。バイクに取り付けるはずの荷物入れも出来上がっていないし、そうなると必然的に荷物だって積んでいないことになる。その箱−荷物入れ−をペンキで塗ったり、文字を書いたり、そんなどうでもいいようなことにばかり気をとられていた。日頃はどちらかというと薄情なハシクンも家に遊びに来てくれ、作業を手伝ったりしてくれた。
 しかしいま、改めて振り返ってみると、バイクでの日本一周というものがどれだけ時間のかかるもので、何が必要で、どんな苦労や楽しさがあって、どんな思いがするだろうなんてことは一つも分からないのだから、何を準備すればいいか、正直分からなかったのである。思いつくのは衣類とテントとシュラフくらいで、バイクをいじる工具類は、せっかくアドバイスをくれたヒラチャンに怒られないようにと、渋々持って行くという有様だった。
 それより、見かけはカッコ悪いけれど、バイクにつけるその大きな箱に、何か、自分の意志を表現したかった。走っているだけでは誰も気づかないし、酒屋とかその他の配達の兄ちゃんと間違われるのが嫌だったのかもしれない。それに、この旅行自体が、以前書いたような動機だけに留まらず、自分の中では本当に大きな意味のある、これからの自分のための旅という認識が大きかったからかもしれない。やるなら、やれる範囲で、大胆に、ド派手にやりたいという思いばかりが、準備に焦る自分の中で空回りしていた。


バイクの荷台に「箱」をつけたところ。
大きさと形と実用性でこれに勝ると思われる箱はなかった。
カメラや下着や日記がすべて濡れてしまうのだけは、
どうしても避けたかった。(後日撮影)

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